CS60 vol.1 歩(妻)の自己紹介
2023-07-01
安田ふぁーむではいろんな事業を展開しているのですが、
そのうちの1つにCS60というものがあります。
CS60のメインは妻の歩です。
CS60を広めていきたい理由があります。
それを語るには、まず自己紹介からせねばなりません。
長いですが、よろしくお願い致します。
私は看護師です。
なぜ、看護師になったのか。
おばあちゃんが脊髄小脳変性症という進行性の難病でした。
おばあちゃんは私が物心ついたときからすでに症状がありました。
小学生の頃から手引き歩行をし、徐々に身体の拘縮が強くなり、
寝たきりになり、親指も切除して、気管切開もして、、、と、
認知症になることはなく、病院で亡くなりました。
当時、小学6年生とかそれくらい。
『なんでおばあちゃんはこんな風になるんやろ。
もっともっと側にいたら苦しまんようになるんちゃうか。
おばあちゃんみたいな苦しんでる人を手助けしたい。』
と幼いながらも思っていました。
ここでなぜか医者ではなかったんですよね。
頭いい人しかなれへんイメージが強かったからかな?笑
おばあちゃんが大好きやったんです。
おばあちゃんはなんでこんな病気になったん?
と母に聴くと、
『農薬の吸いすぎみたいやで。
あとは井戸水好きなばあちゃんやったから土地改良とかで水が汚染しとったんちゃうか。
遺伝するとか聞いたから検査したけど、それは大丈夫やったわ。』と。
28歳、北海道十勝に住むまで、この母の言葉に疑い???もなく、
『好きやった井戸水はもう飲めへんな。病気は遺伝せーへんのか。よかった。』と思うくらい。
この母の言葉が割と人生のポイント。
おばあちゃんの入院先の病院にしょっちゅうお見舞いに。
母がおばあちゃん思いなのです。
小学生なんで、ゲームボーイでポケモンばっかりしていましたが、
今思えばおばあちゃんも誰かいるだけで気が紛れたやろうなと。
天井ばかり見る日々はどんなもんやったかと思うだけで、それも泣きそうになる。
言葉を話しづらくなってきていて、
私も聞き取れへんときはおばあちゃんはめっちゃ辛かったと思う。
私は小さいながら頑張るけど、途中で『わからへん!』と母に託していた。
今思えば涙が出そうになる。
おばあちゃんは身体動かへんけど、頭はクリア。
認知症なんか縁もなく、ほんまにいろいろ見てはもどかしい思いをしてたんちゃうかな。
お見舞いに行った病院では看護師を見ていて、
『看護師になってできるだけ苦痛を少なくしていきたい!』と思うように。
看護師のこと見てたやろうけど、正直覚えていません。笑
そしてストレートで四年制大学の看護学部に行き、大学病院の看護師になりました。
看護師に無事になれましたが、まぁ理想と現実の違いに直面。
おばあちゃんのような人に寄り添うにも時間が限られる。
つづく
そのうちの1つにCS60というものがあります。
CS60のメインは妻の歩です。
CS60を広めていきたい理由があります。
それを語るには、まず自己紹介からせねばなりません。
長いですが、よろしくお願い致します。
私は看護師です。
なぜ、看護師になったのか。
おばあちゃんが脊髄小脳変性症という進行性の難病でした。
おばあちゃんは私が物心ついたときからすでに症状がありました。
小学生の頃から手引き歩行をし、徐々に身体の拘縮が強くなり、
寝たきりになり、親指も切除して、気管切開もして、、、と、
認知症になることはなく、病院で亡くなりました。
当時、小学6年生とかそれくらい。
『なんでおばあちゃんはこんな風になるんやろ。
もっともっと側にいたら苦しまんようになるんちゃうか。
おばあちゃんみたいな苦しんでる人を手助けしたい。』
と幼いながらも思っていました。
ここでなぜか医者ではなかったんですよね。
頭いい人しかなれへんイメージが強かったからかな?笑
おばあちゃんが大好きやったんです。
おばあちゃんはなんでこんな病気になったん?
と母に聴くと、
『農薬の吸いすぎみたいやで。
あとは井戸水好きなばあちゃんやったから土地改良とかで水が汚染しとったんちゃうか。
遺伝するとか聞いたから検査したけど、それは大丈夫やったわ。』と。
28歳、北海道十勝に住むまで、この母の言葉に疑い???もなく、
『好きやった井戸水はもう飲めへんな。病気は遺伝せーへんのか。よかった。』と思うくらい。
この母の言葉が割と人生のポイント。
おばあちゃんの入院先の病院にしょっちゅうお見舞いに。
母がおばあちゃん思いなのです。
小学生なんで、ゲームボーイでポケモンばっかりしていましたが、
今思えばおばあちゃんも誰かいるだけで気が紛れたやろうなと。
天井ばかり見る日々はどんなもんやったかと思うだけで、それも泣きそうになる。
言葉を話しづらくなってきていて、
私も聞き取れへんときはおばあちゃんはめっちゃ辛かったと思う。
私は小さいながら頑張るけど、途中で『わからへん!』と母に託していた。
今思えば涙が出そうになる。
おばあちゃんは身体動かへんけど、頭はクリア。
認知症なんか縁もなく、ほんまにいろいろ見てはもどかしい思いをしてたんちゃうかな。
お見舞いに行った病院では看護師を見ていて、
『看護師になってできるだけ苦痛を少なくしていきたい!』と思うように。
看護師のこと見てたやろうけど、正直覚えていません。笑
そしてストレートで四年制大学の看護学部に行き、大学病院の看護師になりました。
看護師に無事になれましたが、まぁ理想と現実の違いに直面。
おばあちゃんのような人に寄り添うにも時間が限られる。
つづく